第1章「天皇」と平和主義

戦前の天皇の地位

 

大日本帝国憲法(明治憲法)では、天皇は次のように規定されていました。

  • 第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  • 第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
  • 第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
  • 第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
  • 第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
  • 第12条天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
  • 第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

日本国憲法では国民に主権があるとされており(国民主権)、大日本帝国憲法(明治憲法)のような上記権限はすべて否定されます。

 

戦後は象徴天皇制へ

平和主義の観点からいいますと、戦後の日本国憲法のもとで重要なのは天皇主権が否定されたということです。

すなわち、日本国憲法の一番最初の条文である第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定されています。

 

日本国憲法は、一番最初の条文で国民主権象徴天皇制を規定しているのです。最初の条文で高らかに宣言したことが国民主権象徴天皇制なのです。

このふたつがいかに重要かがわかります。

 

天皇の国政に関する権限はなぜ否定されるに至ったか

日本は、第2次世界大戦で敗戦したのちアメリカの占領下に置かれました。

その際、実際に日本の地に降り立ったのがGHQダグラス・マッカーサーです。

 

説明しだすと長くなるのですが、マッカーサー大日本帝国憲法(明治憲法)時代の天皇主権には否定的だったようです。

日本人の手で作成された草案(試案)を拒み続け、結局いまの日本国憲法のような象徴天皇制の内容に変更を加えられた状態になって許容されたとされています。その際、「マッカーサー草案」なるものが日本の政府の側に渡され、その内容に沿って最終的な草案が出来上がりました。

 

第2次世界大戦の敗戦国の主だった敗戦国は、日独伊三国同盟を形成していたドイツ、イタリア、そして日本です。

ドイツにはアドルフ・ヒットラー、イタリアにはムッソリーニがいました。ナチズムファシズムといった独裁政治を行っていました。

 

日本は軍部の暴走を抑えられず、軍部の横暴で第2次世界大戦に突き進んで行ったというのが一般的な見方かと思います。

 

しかし、マッカーサーは日本の天皇がこれらヒットラームッソリーニと同じような存在と考えていなかったとしても、それまでの天皇制が維持される限り再度戦争に至ることがあると考え、日本に大変革を求めたのではないでしょうか。

 

この辺りについては何が真実なのか正直明らかになっていない部分が多々あるかと思います。非常にデリケートな事柄を含む内容のため、あまり深くは立ち入りません。

 

重要なのは、天皇主権が否定され、我が国でも国民主権が導入されたということです。

天皇主権は否定されれば二度と戦争が起こらないというものではなりません。

 

二度と悲惨な戦争に再度巻き込まれる運命を選ぶのか、それとも戦後続いた平和をこのまま維持するのか、最終的に選ぶのは国民の多数派の意思です。

 

憲法の改正の内容に制約はなく無限に改正可能と考えれば、平和主義について規定する憲法9条を改正することも可能です。