「基本的人権の保障」と平和主義

「基本的人権」の意味

基本的人権とはいかなる人権を含むのか、いかなる内容を含むのかという議論はここで致しません。

人間が生まれながらにして当然持っているのが人権と言われています。権力から不当に侵害されることのない、人間が持って生まれた権利のことです。

 

ここでいう「人間」とは「奴隷」ではないということです。犬や馬のような家畜扱いされないという意味と捉えてもいいかもしれません。

 

憲法第3章に規定されている基本的人権は実は網羅的ではありません。日本国憲法に規定されている基本的人権は、歴史上国家権力から侵害されてきた人権を守るために憲法に明示しているにすぎません。

 

これ以外にも基本的人権はあります。

 

日本国憲法上、当然認められるはずの生命権や身体権(身体の安全)が規定されていません。これらはあまりに当たり前すぎて規定するまでもないと考えるのが素直です。

*身体の自由は憲法31条以下の刑事手続の保障の中に認められます。

 

しかし、財産権(憲法29条)が基本的人権として認められているにもかかわらず、より重要な権利であるはずの人の生命や身体が保障されていないわけがありません。

 


基本的人権と平和主義の関係

 

平和主義は、国民の生命・身体その他の基本的人権を守るためにあります。

 

戦争が起きれば兵士として戦場に送り込まれた者は自分の生命を落とす恐れがあり、怪我する可能性も大いにあります。

 

日本が戦地となれば、爆撃機で家は破壊され財産権の保障(憲法29条1項)は台無しになります。

 

さらに、第2次世界大戦時のドイツヒットラーの例でいえば、次のような人権の制限が見られました。

ヒットラーは、ワイマール憲法に規定されていた国家緊急権の規定を悪用し、自分にとって都合の悪い人権保障の規定をことごとく停止させ自由や権利を奪いました。

  • 集会やデモの開催の禁止
  • 出版物の取り締まり
  • 共産主義者の逮捕
  • 野党の弾圧

これらは、集会結社の自由出版という表現行為の自由を侵害するものです。

また、大日本帝国憲法(明治憲法)の時代においても、第2次世界大戦が終了するまで様々な形での言論弾圧(これも表現の自由を侵害)が行われていたと言われています。

 

このように戦争が起こるともはや必然的に人権侵害が起きます。侵害される人権の種類の差は生じるでしょうが、戦争は人権侵害につながります。

 

ですから、平和主義を貫くことは、ひいては基本的人権の保障につながるといえます。

基本的人権を保障するには、まず世の中が平和でなければいけません。平和主義を貫いてこその基本的人権の保障です。