法律の世界では「法のピラミッド構造」と呼ばれるものがあります。
下図のように憲法が法の世界の頂点に君臨しています。
憲法より下位に位置する法規範(法律、政令、規則等)が憲法の内容に反する場合、その法規範は効力を有しません。
その法規範が憲法に反するかどうかの判断権は裁判所にあります(違憲立法審査権または違憲法令審査権→)。
しかし、これは立憲主義が確立した近代憲法以降の話しでして、それ以前においては頂点に君臨していたのは国王や独裁者などの統治者です。
憲法がピラミッドの頂点に君臨することを「法の支配」、国王や君主、独裁者が頂点に君臨することを「人の支配」と呼びます。
なぜ「法の支配」という考え方が生まれたのでしょうか。
それは、政治のすべてを国王や君主に委ねると権力者側だけがいい思いをし、国民が飢えたり生活が苦しくなっても意に介さず多くの国民を無視した政治が行われてきたからです。
歴史的にみて、権力が一手に集中した中で政治が行われた場合、徐々に政治は腐敗していきました。
たとえ最初は優れた権力者であっても、頂点に君臨するようになると次第に欲に目がくらみ、今いる居心地の良さから離れられなくなります。また、初代は人格者でもその息子は苦労知らずのボンボンで遊んで暮らすしか脳がないようになります。
「人の支配」はろくなことがないということは歴史が証明しました。
そこで、国民の手で憲法という権力者をも拘束する「法」を作り、権力者をも従わせることにしました。それが「法の支配」です。
「法の支配」は平和主義の実現に寄与します。
とはいえ、法の支配が確立しているはずのアメリカなどは第2次世界大戦後も頻繁に戦争をしています。ですから法の支配が確立していれば戦争が起きないというものではありません。
しかし、法の支配の確立する以前の日本の戦国時代。下克上が起こり群雄割拠。織田信長が全国統一目前で本能寺の変という憂き目に遭い、その後豊臣秀吉がようやく全国統一。ここまで全国のいたるところで戦争が起きていました。
また、全国統一を果たした豊臣秀吉は朝鮮出兵という侵略戦争まで起こしました。
「人による支配」というのは、君主の意向でいかようにも戦争が起こせました。
一方の「法の支配」を取り入れた日本国憲法。憲法9条という厳格な平和主義を規定しています。
おかげで、戦後70年たったいまでも戦争に巻き込まれることなく過ごせています。
憲法9条を改正しようという動きがあります。
しかし、「法の支配」の確立している日本国憲法のもとにおいては、国民が真に憲法について理解し納得したうえで国民自らの意思で改正しなければなりません。
時の内閣や政権与党主導の憲法改正が「法の支配」の現れといえるのか、「法の支配」とは本来国民が統治権者を縛り付けるものであるにもかかわらず統治権者主導で憲法改正することが許されるのか。
統治権者主導で憲法の規定に手を加え、独裁政治を築き侵略戦争を始めた例が歴史上存在します。
第2次世界大戦においてユダヤ人の大量虐殺を行ったドイツのヒットラー。
実は、ヒットラーの時代にもワイマール憲法という当時としては画期的な憲法が存在していました。しかし、ヒットラーはその憲法のもとにおいてあのような独裁的な政治を行い、当時のドイツ国民の多くもそのヒットラーを支持していました。
ヒットラーはワイマール憲法にのっとり合法的に独裁を確立しました。その際に利用したのが国家緊急権について規定する一文でした。
*国家緊急権とは、戦争や大災害など国家の村立を脅かす緊急事態に際して、憲法秩序を一時停止できる国家の権利。国家存亡の緊急措置として、国家権力の集中や人権保護規定の停止を可能とする。
ヒットラーは、この国家緊急権の規定を悪用し、自分にとって都合の悪い人権保障の規定をことごとく停止させ自由や権利を奪いました。
実は、このドイツのワイマール憲法には「法の支配」の理念はなかったと言われています。
すると「法の支配」に立脚している日本国憲法のもとにおいては戦争は起こらないかといえば、そのようなことはありません。
時の内閣や政権与党が憲法改正を行い、「法の支配」を骨抜きにすることも考えられるのです。