権力分立とは、権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止し、権力の区別・分離と各権力相互間の抑制・均衡を図ることをいいます。
なぜこのようなことをわざわざするかといいますと、こうすることが国民の権利・自由の確保に役立つからです。
対義語は権力集中です。歴史的には、もともと国王や専制君主に国家権力のすべてが集中していました。
もはやあえて説明はいらないかと思いますが、権力のすべてを国王や独裁者が握ると国民の権利・自由はあってないようなものになります。
また、国王や独裁者本人だけでなく、親族や身内が賄賂を受け取るなど私腹を肥やすようになり、飢饉や不況で国民が苦しんでいても自分たちだけは豪勢なディナーを楽しみ国民のことはどうでもよくなります。
これも歴史的が証明しています。
そこで、権力を分散させ、互いに抑制・均衡を図ろうというのが権力分立原理です。
歴史的に厳密にいえば、もともと国王や君主にあった権力を奪い、他の国家機関に担わせるようになったのが三権分立です。
抑制・均衡という言葉は憲法の教科書でさらっと書かれていますが、なかなかわかったようで完全にはわかりにくい言葉です。
本来の意味で言えば、抑制は「抑える」「制御する」といった意味です。均衡の「均は「均しく」、「衡」は「平衡感覚」の「衡」ですからこれも「ひとしく」という意味です。
難しい漢字が使われていますが、難しく考える必要はありません。
三権分立で説明すると、
この3つが三権分立の主な内容であり、抑制・均衡の意味です。
権力分立の典型例は、「国会」「内閣」「裁判所」の三権分立です。
しかし、この三権分立のほかにも立法機関における両院制(二院制)、裁判所の三審制、地方自治と国政を分ける地方自治の制度も権力分立の理念に由来した制度と言われることがあります。
なお、日本では議院内閣制が採用されているため、アメリカの大統領制のような典型的な三権分立制は取られていません。
平和主義との関係で権力分立が説かれることは憲法の教科書ではあまりないことかと思います。しかし、権力分立も平和主義の実現に大いに寄与する制度です。
もし、現在の内閣がアメリカの関わる戦争に何らかの形で参加する法案を提出し、与党の力でその法案を成立させたといます。
その場合、裁判所としてはその法律が憲法に反するとして違憲無効とできれば平和主義の理念は維持できます(違憲立法審査権、憲法81条)。
また、日本では議院内閣制が採用されているため、そのような内閣提出法案が出された場合、法案は成立する可能性が非常に高いといえます。
しかし、権力分立原理の現れといえる両院制(二院制)のもとでは、衆議院・参議院の構成が異なるためもし参議院で野党のほうが過半数を占めていれば廃案に追い込むことができます。
これだけではありません。国会には内閣不信任決議権という制度が認められており、建前上は野党はこれを切り札として内閣を追いやる権利が認められています。
さらに、内閣支持率が下がり国民の支持が得られない場合はマスコミが内閣を追及し、退陣に追い込むことも過去何度も行われてきました。
いまやマスコミ・メディアは第4の権力として権力分立の一翼を担うまでになっています。
このように現在の日本国憲法は、幾重にも幾重にも権力者の横暴による戦争の開始や加担を防止する装置が完備されている究極の憲法になっています。
これが日本国憲法の徹底的平和主義といわれる所以でもあります。