憲法前文には次の内容が見て取れます。原文は下記に抜粋して掲載しているため、時間にゆとりのある方はご覧ください。
憲法の教科書には、憲法前文には法規範性はあるが、裁判規範としての性格は否定されるとの記述が見られます。
この議論はここでは致しません。
重要なのは、憲法前文は単なる「前置き」や「前フリ」ではなく、憲法の理念を最初に明示しているという事実です。
結婚披露パーティーのスピーチのように「本日はお日柄もよろしく・・・」といったものではなく、いきなり重要な部分が憲法の最初に来ているということです。
土地の売買契約書ならまずどの土地を売買するのか、会社の合併契約書なら「甲社と乙社は平成◯◯年◯月◯日に合併する」といった結論が来ます。
同様に、憲法も条文の冊子のページをめくった最初の部分に一番重要なことを記述しているのです。
大学の法学部の先生の多くは「法解釈学」を専門としているため、前文のあとにある個々の条文の解釈にばかり目が行きます。
しかし、1条から103条までの個々の条文のエッセンスを抽出し、まとめたものが憲法前文です。
実は、憲法の原文には「前文」というタイトル・見出しは付いていません。「前文」というタイトル・見出しは正式なものではないのです。「前文」と呼んだばかりに「前置き」や「前フリ」みたいな印象を受けてしまうのです。
ですから、見ようによっては、憲法で一番重要なエッセンスをまず最初に冒頭に記述し、その具体的な内容を箇条書きのような形で条文化したとも考えうると思います。
その一番重要な前文に平和主義が記述されています。
しかも、前文を読んでみると、ほとんどの方が気づくと思いますが、やたら平和に関する記述が多いのが特徴です。
それもそのはず。
日本国憲法は、第2次世界大戦の敗戦を受け、これまでの大日本帝国憲法(明治憲法)から作り変えられました。
これからの世界平和のために、また自分たちの親子どもが戦争で命を失わないでいいように気持ちを新たに生まれ変わったのが日本国憲法なのです。
大日本帝国憲法(明治憲法)から日本国憲法に作り変えられた際、もちろん人権規定の内容が充実しました。
しかし、大きく変わったのは平和主義に関する考え方が前面に出てきたことです。
敗戦を機に作り変えられたということは、敗戦を反省しもう二度と同じ過ちは繰り返さないという気持ちの現われが憲法前文に出ています。
憲法前文には平和に関する記述が多いように読めるのですが、実は日本国憲法の個々の条文の中にも平和主義につながる制度・システムが縦横無尽に張り巡らされいます。
前文はエッセンスを抽出したもので、ここの条文はそのエッセンスを具体的に説明していると考えれば当然といえば当然です。
その平和主義につながる制度・システムを多くの方に学んでいただくことがこのサイトの役割です。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。